なぜ転職エージェントを辞めた僕が、今もなおキャリア支援を続けるのか

こんにちは。元転職エージェントの梅田です!

僕は元々、大手転職エージェントにて管理職を務めていましたが、2019年の6月末に退職。しかし、辞めた今でも個人として、キャリアに関する発信やイベント登壇、転職に悩む方々の相談を受けるなどの活動をしています。

企業の倒産や、大量早期退職のニュースが毎日のように報道される今の時代では、自身のキャリアに悩む方が多く、下は20代から上は40代までと幅広い世代の方からTwitterや知人を通して転職相談をいただきます。

キャリアの発信の方は、2018年8月からTwitterを始め、継続してきたところ、おかげさまで今では9,000人近くの方からフォローしていただいています。

本コラム第1回目となる今回は、『元転職エージェントの僕が、なぜ未だにキャリア支援を続けるのか』について、僕自身のこれまでのキャリアとともに勝手に語らせていただきます。

ここから綴る僕のキャリアは正直、全く人に誇れるものではなく、どちらかと言うと黒歴史の連続です(笑)

この記事を書いた人
転職エージェントの梅田翔五

元転職エージェント

梅田 翔五

Shogo Umeda

プロフィール

上智大学経済学部経営学科を卒業後、大手内資系製薬会社に入社。
その後、転職エージェントとして多くの人のキャリアに向き合い、求職者の転職活動を支援。

現在は、元転職エージェント管理職の知見を生かし、個人でキャリアや転職における支援を行うキャリア支援家として活動。
情報発信やイベント登壇、記事執筆、個人からのご相談などを行っています。
梅田翔五のプロフィールページ

就活では何も考えず、大手で安定した会社を探す

2009年に就活生だった梅田。当時の僕の思考をざっくり箇条書きにするとこんな感じでした。

当時の僕の思考
  1. 不況に強い会社に行きたい
  2. 大手で人に自慢できるようなネームバリューも欲しい
  3. とりあえず話すのは得意だから営業
  4. 業界は正直何でも良い
  5. 高校からやってきたダンスを社会人になっても続けたいから、仕事はほどほどにしたい

上記の通りで、簡単に言うと、ちゃんと考えていなかったのです。当時はダンスにのめり込んでおり、早く就活を終わらせ、残りの学生生活を全てダンスに費やしたいという気持ちが強かったことをよく覚えています。

また、僕に最も強く影響を与えたのは、両親。リーマンショック直後の就活生であったため、親がとにかく『安定』というワードに敏感で。就活中は何度も「大手で不況に強いとこに行け」と言われ、僕もそれが当然だと考えるようになりました。

そんな就活生だった僕は不況に強く、給料も良い大手内資系製薬会社からMR(営業職)の内定をもらうことができ、業務内容も深く理解しないまま、入社を決めました。

新卒では大手製薬会社に入社、しかし違和感の強い日々

製薬会社時代の梅田

製薬会社時代の写真

製薬会社に新卒で入社、これがはっきり言って大失敗。何から何まで自分に合っていませんでした。

  1. THE 年功序列の社風
    もともと勝負事が好きな自分は、年功序列の中でモチベーションがキープできず。やってもやらなくても給料や評価に大して差が出ない環境で、何のために頑張っているのかと、僕はどんどん目標を見失っていきました。
    ただ、もともと真面目な分、サボることにも罪悪感。頑張りたくないのに頑張っているという、自分でもよくわからない状態が続きました。
  2. 営業先は、平均年齢 60歳近くのドクター
    ダンスという若者文化の中で青春時代を過ごしてきた僕は、ご年配の方とのコミュニケーションが得意ではないと、入社してから気がつきました。ゴルフやらない、ワイン飲まない、野球観ない、そんな自分はドクターと何とか会話を合わせ、営業自体に支障は出ないものの、上辺だけの会話をしてる自分にどんどん嫌気が。。。
  3. 全国転勤
    入社して丸3年のタイミングで第一子誕生。全国転勤がマストの会社だったので、子供が大きくなった時、転校を繰り返すのか、それとも単身赴任になるのかと考えました。

当時の僕の上司は、長年単身赴任をしており、そのせいで家庭が上手くいってないとぼやいているのを営業同行中に聞き、転勤がずっと続くこの環境に強い不安を覚えました。

深く考えず、業務内容もよく理解しないまま入社してしまったツケが全て回ってきた状態でした。営業成績自体は良く、そこそこ社内では評価されていたものの、それでも社内外の誰とも本音で向き合えず、とにかく憂鬱な毎日。家族や友人にだけ、仕事の愚痴をこぼすダメなサラリーマン。

こんな思いを抱えたまま、あと30〜40年も働いていくのかと考えると目の前が真っ暗になりました。自分の人生が自分のものではないような感覚。そんな僕は、意を決して入社から4年6ヶ月で製薬会社を退職しました。

「お前はこの仕事に向いていると思ってたよ。まさか辞めるとはな。。」辞める直前の上司の言葉が、印象的でした。僕は、この人と向き合えていなかったんだなと申し訳なくなりました。

勇気を出して、ダンスで食べていくことに挑戦

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ダンススタジオを立ち上げた頃の写真

製薬会社に就職して後悔をしていた僕は、ここで非常に大胆かつ安易な行動を取ります。(会社辞めたいなー、でも次どうしようかなー)と悩んでいるそのタイミングで、知人から「ダンススタジオを立ち上げないか?」という突然のお誘いが舞い込んできました。まさに寝耳に水。ダンスで食べていくなんて考えたこともありませんでした。

(自分にできるのだろうか?)という強い不安。

特に、僕がやっていたのはブレイクダンスというジャンルで、仕事として食べていくのはかなり難しいものでした。ただその一方(挑戦してみたい、面白そう)という感情がふつふつと。

学生時代から10年以上ブレイクダンスを続けていて、製薬会社に勤めながらも当時、そこそこ有名なチームのリーダーを務めていたこともあり、集客はできそうな気がしたんです。

「安定していても興味が持てない仕事をやるのはもう嫌だ!不安定でも楽しめる仕事をしよう!あとは自分次第だ!」

そんな不安と希望が半分ずつのフワフワした状態のまま、僕はダンススタジオを一から立ち上げる選択をしたのでした。

ビジネスの難しさを痛感

結論から言うと、ダンススタジオは1年6ヶ月で畳みました。これは僕のビジネスレベルが超低かったことが要因です。

というのも、ダンススタジオの売上と利益は、飲食店などと同じで、スタジオの広さから収容人数を把握し、そこにレッスン単価と回転数を掛け、最後にスタジオ賃料や講師費用、光熱費などを引けば、簡単に計算できました。それを僕は入社前にやらなかった。その発想が出なかった。

楽しく働きたい、挑戦したいという思いばかりが先走り、ビジネス的思考が全くないまま、飛び込んでしまった甘さが、モロに自分に襲いかかってきました。集客は最低限でき、スタジオの予定表もそこそこ埋めることができていました。それでも製薬会社時代から給料は半分以下、働く時間は1.5倍に。

(ずっとこの給料じゃ生きていけない・・・)(年を重ねて体も動かなくなってきた時、自分には何が残るのか・・・)そんな不安が、日々大きくなっていきました。

しかもこの時、既に1人目の子は2歳半、そして2人目が生まれたタイミング。製薬会社に浅はかな理由で入って後悔をしたのに、またしても浅はかな転職をして2度目の失敗を経験。

(二児の父親として、一体自分は何をしているんだろう)(これからの人生どうなるのだろう)この時から『キャリア』というものを真剣に意識し始めたのでした。

3社目は、転職エージェントを選択

転職エージェント時代の梅田

転職エージェント時代の写真

1社目は、親の意見に流され、給料や安定で選び、失敗。2社目は、楽しそう、やってみたいという思いが先行し、失敗。もう失敗できない。

  • 自身の強みは?これまで培ってきた経験は?
  • 自分はどんな仕事にやりがいを感じ、どんな環境なら頑張れるのか?
  • 家族を養っていくためには、どれくらいの給料が必要なのか?
  • 転勤などその他の条件は?
こんなことを一生懸命考えて行き着いたのが、転職エージェントでした。また、自分自身がキャリアの迷子になっていたからこそ、(ここで何か変われるんじゃないか?)そんな希望も抱いていました。

人生を変えた『転職エージェント』という仕事

3社目となる転職エージェントという仕事。これは一言で表すと『自分に向いていました』

自分自身の性格や、これまで培ってきた経験・スキルなど、全てがはまった感覚。自分に適した仕事というのはこんなにもやりがいを感じ、頑張れるのか!

キャリアや転職に悩む人達の不安や痛みがよくわかるというのは、特に僕の強みとなり、この仕事をやるために、今までの失敗があったんじゃないかという気さえしました。

ふと気がつくと、消えていた未来への不安

そんな転職エージェントで過ごす充実した毎日。成果も順調に上がり、早い段階で管理職に昇進することもできました。そして転職が成功した方々からの御礼の言葉は、何よりもやりがいに。

。そんな転職エージェント生活を続けていて、ある日ふと気がついたんです。自分自身がずっと感じていた『キャリアに対する漠然とした不安』がなくなっていると。思えば、製薬会社時代もダンススタジオ時代も、僕はずっと不安でした。

  • 仕事とはつまらないもので、これからの人生はずっと我慢して働く毎日なんじゃないか
  • 自分に向いてる仕事なんてないんじゃないか
仕事というものに対して、一種の『諦め』のような感情を抱いていた自分が、転職エージェントという仕事の中で、人の転職に向き合い、キャリアの築き方や自己理解を学んできたことで、気づけば自分自身の不安を解消していました。この仕事を通して、1番救われていたのは、実は僕自身だったんです。

キャリアに悩む人は、これからますます増えていく

近年は、自身のキャリアや人生に不安を抱えている人が多くいますし、これからますます増えていくと僕は予想しています。そして、それは当然の流れです。

1950年代後半くらいから約60年間、日本は終身雇用・年功序列のシステムで運用されてきて、安定した会社に長くさえ勤めていればどうにかなってきましたが、そのシステムが終わりを迎えようとしているからです。

今働いている世代の方々の多くは、この雇用システムの変更に思考や知識が追いついていません。生まれた時から当たり前だった概念が崩れるというのは、それほど大きなことなのです。

また僕のように、自分に合わない仕事や、将来性を見出すのが難しい仕事に挑戦して失敗してしまい、不安を抱えている人も多くいるのではないでしょうか。

これまでの日本は、経歴に1度傷をつけるとそこからの挽回が難しく、転職もあまりポジティブなイメージではなかったため、転職に興味があっても踏み出せず、現状に留まる選択をしている人もよくお会いします。「終身雇用・年功序列じゃなくなるというけど、じゃあどうしたら良いの?」

キャリア戦略の立て方を学べば、あなたはもっと’あなたらしく’働ける

キャリアに不安を抱えながら過ごす人生というのは本当に苦しいものです。僕は丸6年その期間を過ごしました。そこから解放された今、毎日の仕事が楽しくなりました。未来に希望が持てるようになりました。

ここまで話が長くなりましたが、僕がキャリア支援を続けている理由は、過去の自分と同じ不安を抱えている方々に、変化のきっかけを与えたいからです。キャリアは決して運任せにするものでなく、自身の思考と行動で切り開くものであることを、僕自身のキャリアと、転職エージェントに努めた日々で学びました。

しかし、その切り開き方を教えてくれる場は、今の日本にはほとんどありません。終身雇用が根付いた日本ではキャリアについて考える習慣がなく、僕達の親世代も教えてくれません。そこで『学ぶ場がないのなら、僕が作っていこう!』と思い立ったわけです。

過去の自分にメッセージを送るようなつもりで、僕は今後もキャリアの発信や支援を続けていきますし、どんどん新しいことに挑戦していこうと考えています。キャリアと向き合い、行動すれば、苦しい毎日を過ごすあなたもきっと変われると僕は信じています。

終わりに

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妻が撮影した一枚

ちなみに、僕はもう転職エージェントを退職し、今は『iCARE』というヘルスケアのスタートアップベンチャーに転職しています。転職エージェントを辞めた理由はまた別の機会にでも書きたいと思いますが、この選択も自分にとってはキャリア戦略の1つ。

キャリアとヘルスケアは密接に繋がっていて、このキャリアの発信はいずれiCAREの事業にも繋がると信じています。仕事選びは、身体の健康・心の健康に深く結びつきますからね。

とても長くなってしまいましたが、最後までお読みいただいた方、本当にありがとうございました。自分の活動が1人でも多くの方のキャリアに良い影響を与えられるよう、これからも日々邁進してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。

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